私は特にですが、カレーを作ろうもんなら翌朝の分まで余分に作ります。それはどういうことかと言うと一晩寝かせたカレーが美味しいからです。
寝かせたという言い方を思いついた人は素晴らしいですよね。本来なら残ってる、のにカレーは一晩寝かせてなんぼみたいな考えに持っていけますからね。カレー以外にあるでしょうか。寝かせる食べ物が。
ただこの寝かせるという行為。
これは人間側の暗黙の了解であり、カレーサイドからすれば「どうして食べられないんだ」と思っていることでしょう。
自分がカレーになったつもりでよく考えてみてください。
同じ鍋の中でコトコト煮込まれて、カレー粉入れられていよいよ美味しくなったのに、自分はご飯にかけてもらえない。
お母さんが子供としてる会話を聞いて徐々に不安になる訳です。
「お母さんはこのくらい。由美ちゃん(仮名)はこのくらいにしよっか」
「私もっと食べれるよ」
「おやつも食べたし、一旦このくらいで食べてみよう」
「はーい」
同じような位置、すぐ隣にいた人参は由美ちゃんが苦手なもんで食べさせるために緊急招集されたのに…。自分がじゃがいもだということをかなり恨んだでしょう。
あとはお父さんに食べてもらう他ない訳です。カレーの残り的に食べてもらえるかどうか微妙な量。でも上からなら掬ってもらえる位置にいると確信します。大丈夫だ。何とか美味しく仕上がった。ここまで高温で煮込まれて苦しかった。それも食べてもらってこそ報われる。俺は美味い…。
21時頃ですかね遅れて帰ってきた父親が寝ている子供の顔を見て、妻と話をしながら夕飯のカレーを食べようとします。
ここで運命の歯車が狂います。
いつもは妻が夕飯の準備をして、夫は服を着替えたり、顔を洗ったりするのですが、今日は「自分で準備するよ」と上機嫌です。
妻がカレーの準備をやる場合、ゆっくりとかき混ぜながら加熱すると、先輩じゃがいもから聞いていたものの、夫はかなり激しく下から上にかき混ぜました。これは火が下にあるから下が熱くて上は冷めてるから上下に混ぜた方が熱が均一にいくという根拠に基づいていました。
これによってポジションの有利が分からなくなってしまった形のじゃがいも。
そして不幸なことに鍋底のふちに追いやられたところで火が消えました。ご飯の量が多いので、可能性はあるかと思いましたが、掬ってもらえませんでした。
夫が何か言っていることは目視したじゃがいも。自分への悪口か、じゃがいもはいいかという存在否定だったか。なんにしてもじゃがいもは掬われなかったカレーたちと残ってしまったのです。
リビングで「ううん、美味い」という夫と「だろ?」という妻の声を聞きながら、鍋の底で歯を食いしばり、涙を流すじゃがいもがいるのです。
こういうことを考えるとやはりしっかりと相手に伝えるというのは大事だなと思いますね。
じゃがいもからしたら翌日になって上手くなったかどうか自分では分かりませんから。残り物として食べられたというのが本人に残る思いでしょうから。
終わります。
これはCTAサンプルです。
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